大圓寺(大円寺)は、寺伝では、江戸時代の1624年に、出羽湯殿山の修験僧が大日如来を本尊として道場を開いたのが始まりという。
JR目黒駅の西口から大圓寺までは行人坂(ぎょうにんざか)を上がるが、「行人坂」という名称は大圓寺の修験僧がこの坂道を往来したことに由来している。
大圓寺は、1772年に起きた「明和の大火」の火元となったことで歴史に名を残している。江戸市中に延焼して1万人以上の死者を出した大火事であり、江戸三大火事のひとつとされる。
五百羅漢の石像は、江戸後期の1848年になって再建された後に、大火の犠牲者の供養のためにつくられたもの。
「とろけ地蔵」は、拝むと悩みをとろけさせてくれるとされる。この地蔵は、もともと品川の海で漁師の網に掛かり引き上げられたもの。その後、大火に遭ってとろけたような姿になった。