増上寺は、室町時代の1393年に酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって創建された。9世紀に空海の弟子の宗叡(しゅうえい)が建立した寺を前身としているが、1393年の創建の際に「増上寺」と寺号を改めて浄土宗に改宗している。
1590年に徳川家康が江戸入府したことをきっかけに徳川家の菩提寺となり、その後は徳川将軍家とゆかりの深い寺院として発展した。徳川家康がたまたま増上寺の前を通りかかった際に、増上寺12世・源誉存応〈げんよぞんのう〉と対面したのが菩提寺となるきっかけだったという。
朱塗りの三解脱門は、江戸初期に造営されて唯一残る建造物。楼上には釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されている。三解脱門とは、三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門という意味。
創建時には現在の千代田区麹町・紀尾井町あたりにあったが、その後、日比谷へ移り、さらに1598年には、江戸城の拡張に伴って日比谷から現在地の芝へ移された。
江戸の都市整備には、風水が取り入れられている。風水学の視点でみた場合、江戸城の鬼門となる北東の方角には上野に寛永寺を置いて、裏鬼門となる南西の方角には芝に増上寺を置いたと考えられる。