鳳来寺は、702年に利修(りしゅう)が開山したと伝わる。文武天皇が病気にかかった際に利修が呼ばれ、17日間の加持祈祷をおこなって文武天皇の病気が治った。703年、天皇からのお礼として鳳来寺の伽藍が建立された。
江戸時代には幕府の庇護を受け、徳川家光によって鳳来山東照宮や仁王門が寄進された。徳川家康の父母が鳳来寺で祈願したところ、まもなく母が身ごもって家康が生まれたという由緒から、徳川家光がその恩返しとして堂坊を再建した。
仁王門の「鳳来寺」と書かれた額は現在はレプリカだが、もともとは光明皇后が書いたとされる。聖武天皇が病気になった際、光明皇后が鳳来寺の薬師如来に願掛けをして病気が治ったので、そのお礼に自ら「鳳来寺」と書いたと伝わる。鳳来山東照宮と仁王門は、国の重要文化財に指定されている。
鳳来寺山は標高695m。参道には約1400段の石段があり、上りきるには30分から1時間くらいかかる。鳳来寺の御本尊は薬師如来で病気平癒や健康にご利益があり、鳳来山東照宮には子授・安産のご利益があるとされる。
「鳳来寺」という寺名は、文武天皇の加持祈祷をおこなう際に利修が鳳凰に乗ってやって来たという言い伝えに由来する。利修は、山城国(現在の京都府南部)に生まれ、百済で修行を積んで仙人となり、鳳凰に乗って帰国したとされる。